自転車の歴史が始まってから、サイクリングのアクティビティは常に多様化を続けてきた。それに伴って、自転車に求められる機能も多種多様に広がり、それに呼応するように多様なメーカーや販売店が発展してきた。
近年では、トレイルやグラベルといったオフロードでのアクティビティや、それらとキャンプツーリングを組み合わせた多様なアクティビティが盛り上がりを見せている。なかでも、その本場といえるアメリカを中心に、タイヤやコンポーネントを扱う新興パーツメーカーが登場し、アクティビティの盛り上がりを支えている。日本国内においては、これらを国内に輸入する代理店の存在が必要不可欠である。
今回紹介するオルタナティブ・バイシクルズは、そういった個人経営の代理店のひとつである。扱うのは自転車ツーリングのためにキャンプ道具などを積む「バイクパッキング」のためのバッグや、未舗装路を走るためのタイヤ、工具などで、その商材には偏りがあるようにも思えるが、これは代表の北澤肯(こう)氏のサイクリング経験と戦略に基づいた品揃えである。北澤氏はバックパッカーとして海外での自転車ツーリングも行った熱心なサイクリストであり、その豊富な経験を生かして、軽量性を重視した新しい自転車ツーリングに関する一冊、「バイクパッキングBOOK」(山と渓谷社)も執筆し、日本にバイクパッキングの文化を広めた立役者の一人でもある。さらに近年では、自らの理想の工具を求めて自転車ガジェットブランド「equipt(イクイプト)」を立ち上げ、その活動領域を拡げている。
今回は、北澤氏にインタビューする機会を得て、オルタナティブ・バイシクルズの立ち上げから現在に至るまでの経緯や、個人で代理店業を行うことについての考え、そして新たなブランド、イクイプトを通しての将来の展望について話を聞いた。
発展途上国の開発支援の傍らで始まったオルタナティブ・バイシクルズ
——まずは、北澤さんのキャリアの背景を教えてください。
北澤 元々は学校の先生になりたいと思っていて、大学4年生の頃から教職課程を履修しました。大学卒業後、先生になる前にアメリカの政治やカルチャーなどに触れたいと考え、アメリカのオレゴン州ポートランドの大学に1年間留学し、心理学などを専攻しました。
帰国後、英会話学校の講師をしながら教職課程の残りを通信で履修していたところ、ある医療系NGOでカンボジアでの母子保健プロジェクトの現地スタッフとして採用される機会があり、3年間ほどカンボジアで勤務しました。
その後、海外での経験を生かして、フェアトレード認証を扱うNPOで3年間勤務しましたが、組織では自分のやりたいことができず、また待遇も家族を養えないほどの水準でした。2006年に、新しく会社法が施行され、合同会社という、起業のしやすさが利点のひとつである会社形態が導入されました。そこで、どうせお金が無いなら自分が好きなことをやろうと思い、同年に合同会社グリーンソースを立ち上げるに至りました。
——グリーンソースではどのような活動を行っていましたか。
北澤 自転車で広告看板を引いて走る「アド・バイク」という事業を立ち上げ、「軽井沢高原ビール」の看板を引いて軽井沢町内を走り回ったり、厚労省の依頼でレッドリボンをつけて世界エイズデーの啓発をしたりしました。また三宅島の噴火災害からの復興事業の一環として、「三宅島エコ・ライド」というエコツーリズム型の自転車イベント2008年に開催しました。
——アド・バイクの事業内容を詳しく教えてください。
北澤 当時は、渋谷などでアドトラック(荷台スペースに広告をつけたトラック)などが目立ち始めた頃でした。広告を見せるためだけにガソリンを燃やしてトラックを走り回らせることに疑問を抱き、環境負荷の少ない乗り物である自転車で看板を引いて走るという事業を思いつきました。アド・バイクの企画書を書いてエーピーバンク(※1)に送ったところ、採用されて、200万円の融資を受けることができ、1年間ほどその事業を行いました。
(※1 バンドMr.Childrenのメンバーである桜井氏などが主宰する非営利団体。主に環境プロジェクトへの低金利融資を行う)
——起業後、グリーンソース以外の活動も行っていましたか。
北澤 フェアトレードの専門家として日本貿易振興機構(JETRO)のアジア経済研究所の研究会に招聘され、欧米諸国のエシカル消費活動やCSRについて調査を行ったり、南北問題(※2)を描いた「おいしいコーヒーの真実」という映画を誘致したりするなど、フェアトレードの普及活動も並行して行っている時期もありました。この時期の収入は本当に低く、子どもを二人抱えてあの頃はどう生活できていたのか今でも不思議なほどです。
ある日、フェアトレードの専門家としてスリランカ産バナナのフェアトレードに関する仕事を受けたことをきっかけに、2008年から、国際協力機構(JICA)のベトナム北西部での地場産業支援プロジェクトにおいてマーケティングを担当することになりました。ベトナムで3年間働いた後、西アフリカのセネガルでも3年間農村の農産品の開発、マーケティングに関するプロジェクトに携わり、合計6年間、JICAでの仕事を経験しました。海外での支援事業に携わるのは楽しかったですし、それまでの経験が初めてまともな収入に繋がったのも嬉しかったです。
(※2 主に北半球に存在する先進国と南半球に位置する発展途上国間の経済格差のこと)
——オルタナティブ・バイシクルズの事業を始めた経緯を教えてください。
北澤 ベトナムでの仕事を始めて1年ほど経った2009年末から、数十万円程度の規模で、自転車の商材をイギリスやアメリカから日本に輸入し、ブログを通して販売し始めたのがオルタナティブ・バイシクルズの事業の始まりでした。当時は、年の半分はJICAの仕事のためにベトナムにいて、もう半分は日本にいるというような生活を送っており、日本にいない時期は妻が発送を手伝ってくれました。
2、3年ほど続けているうちに小売店からの依頼で卸売を始め、2014年にセネガルでのプロジェクトが終了したことから、オルタナティブ・バイシクルズの仕事に専念し始めました。
「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
——過去の海外でのツーリング経験は、現在の商材の選択に影響していますか。
北澤 現在扱っているような用品は当時はまだ存在していなかったので、今の商材とは繋がっていないですね。商材探しは全てインターネットで行ない、電話やメールで連絡をとる流れです。
——商材探しにおいて大事にしていることはありますか。
北澤 商材探しはスピード勝負の面もあるので、良いと思ったものは、数十万円くらいの規模であれば、サンプルも取らずに契約する場合もあります。その結果、思っていたものと違っていたり、全く売れなかったりといった失敗を経験することもあります。全ての商材が当たることはありませんし、「打たなければ当たらない」という精神で商材を探しています。
——個人経営の輸入代理店の利点はどのようなものですか。
北澤 普通の会社組織であれば、契約のために社内稟議を通す必要があるところを、個人経営では素早い判断ができるという点は利点だと思います。実際に、あるメーカーと連絡をとったところ、既に他の輸入代理店が接触しサンプルを取り寄せている段階だったことがあるのですが、「サンプルも要らないので契約させてくれ」と言って先に契約が取れたこともあります。一方で、全て自分で決めているために、売れるかどうかの判断が甘く失敗したこともあります。
——個人経営の輸入代理店として、一番苦労することを教えてください。
北澤 一番苦労するのはキャッシュフローです。取引先への支払いや、不良在庫、近年の円安の影響などが主な悩みの種です。幸いにも会社の業績は3年ほど前まで右肩上がりで、現在はそれを維持している状態ですが、近年は個人で達成できる売り上げの上限が見えてきたように感じます。
——そう考えるのはなぜでしょうか。
北澤 私一人で事業を運営し、販売方法もメールのみという手法をとっているうちは、これ以上売上は伸びないと感じているためです。これ以上伸ばすためには、スタッフを雇ったり、新たにもっと機能の充実した通販サイトを作ったりする必要があると思っています。
——既に契約している商材を他社に取られることもあると思いますが、それについてはどう思われますか。
北澤 ブランド側がビジネスを大きくしたいときに、より販路を拡大したいと考えることは自然だと思います。立ち上げの頃から関わってきたブランドを他社に取られることを腹立たしく思うことももちろんありますが、ビジネスなので仕方ないと思います。
——現在も、新規ブランドへの積極的なコンタクトを図っているのでしょうか。
北澤 最近は、あまり取り扱うブランド数を増やしていません。ブランドが製品ラインナップを増やすにつれて、自然と商材が増えてきますし、既に個人でやっている会社で仕入れができる取引先のブランドの数にも限界を感じています。もちろん、最近は自分の興したブランド(後述)もあるので、新規の取引先を増やしていないという面もあります。
——北澤さんは過去に「バイクパッキングBOOK」を執筆されましたが、その経緯を教えてください。
北澤 「バイクパッキング」という言葉がなかった当時から自転車で旅をしていたので、バイクパッキングというジャンルのグッズやカルチャーがアメリカで生まれたのを知った時に「これは日本に広めなければ」と強く思ったのが執筆のきっかけです。
——バイクパッキングに関する商材は早い時期から取り扱っていたのでしょうか。
北澤 Revelate Designs(レベレイト・デザイン)というアラスカのブランドを2012年ごろから取り扱っています。彼らが数人でバッグを手作りしていた頃から接触しており、工場で大きな規模で作るようになった頃から輸入するようになりました。当時はバイクパッキング用のバッグを商業的に生産しているのはレベレイト・デザイン一社だったので、日本で一番早くバイクパッキングの商材を取り扱い始めたのはオルタナティブ・バイシクルズだったのではないでしょうか。
——今後、新たに人を雇ってビジネスを拡大する予定はありますか。
北澤 人を雇うと責任も大きいですし、一人でビジネスをする気楽さも大事だと考えているので、一人でやれる規模に留めています。「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」という有名な言葉がありますが、その通りだと感じる一方で、多くの人の助けを借りながらではありますが、一人でも輸入代理店業や自分のブランドの設立など、色んなビジネスができるものだとも思っています。
「自分のブランドで世界に出ていきたい」
——独自の携帯工具ブランド「イクイプト」を立ち上げた経緯を教えてください。
北澤 大きな理由としては、「自分のブランドで世界に出ていきたい」という漠然とした願望があったことと、自分が理想とする工具を作りたいという思いがあったことです。加えて、他所のブランドは他社代理店に取引契約を取られることがある一方で、自分のブランドは取られることはないというのも理由の一つです。
——自社で取り扱った工具の弱点を改良したいという思いもありましたか。
北澤 「Fix It Sticks(フィックス・イット・スティックス)」というブランドの工具をオルタナティブ・バイシクルズで取り扱っており、自分でも気に入って使っているのですが、使っている中で出てきた不満点を改善した携帯工具を作りたいという思いから生まれたのが、イクイプトの最初の製品である「Sardine(サーディン)」です。
——イクイプトのモノづくりで苦労したことはありますか。
北澤 サーディンの設計の際、工場から送られてくるサンプルの色味や精度などが思ったようにいかず、かつコロナ禍で工場に行って直接やりとりすることができなかったため、3年ほどを要したことです。もうできないと諦めていたところに、工場から納得のいくサンプルが送られてきて、それがほぼ最終型となりました。
——サーディンの売れ行きはどうでしょうか。
北澤 2022年の年末に初回ロットを1000本製造し、好評を得て2か月で完売することができました。その後、台湾の工場からなかなか返事が来ず製造ができなかったのですが、1年近く経って新色のパープルを300本限定で販売したところ、これも2週間で売り切ることができました。その後グリーンとパープルの2色を合わせて700本製造し、安定した在庫を確保できたため、現在は海外の販路拡大に向けてインターネットを通したプロモーションに力を入れているところです。
——海外に向けたプロモーション戦略について教えてください。
北澤 海外への販路拡大はブランド設立当初から予定していていました。そのために、自転車のカルチャーやバイクパッキングなどに世界的な影響力を持つウェブメディアである「The Radavist(ラダビスト)」に取り上げられることを目標としました。ラダビストの創業者であるジョン・ワトソン氏にインスタグラムで連絡し、サンプルを送ったところ、「すごくいい」と言ってもらい、ラダビストに記事として取り上げてもらうことができました。
——海外のメディアに接触する際に気を付けていることはありますか。
北澤 世界的に影響力のあるメディアには、世界中のメーカーからサンプルの送付やプロモーションがあるので、彼らの負担にならないように、メッセージの内容は最低限の文字数と写真に留める一方で、商品の説明は的確にするようにしました。
また、影響力のあるメディアやショップと接触できたとしても、彼らにサンプルを送るだけで良い反応が返ってくると考えてはいけないと分かりました。使ってみてどうだったかを後から確認することで、記事に取り上げてもらえたり代理店契約をしてもらえたりといった結果に繋げることができました。
——実際に海外でも販売されているのでしょうか。
北澤 現在はアメリカに4店舗、イギリスとスイスとシンガポールに1店舗ずつ販売店があります。アメリカで影響力のあるインフルエンサーにSNSに取り上げられたことをきっかけに、ボストンのBikes Not Bombs(バイクス・ノット・ボムス)というショップとの取引が始まったり、コロラド州の有名な自転車工房であるBlack Sheep Bikes(ブラック・シープ・バイクス)にサンプルを送ったことをきっかけに販売店契約が始まったり、ラダビストに記事を掲載されたりといった出来事が2023年10月から2024年1月にかけて連続的に起こり、海外の販売店が増えました。
——日本国内のユーザーからの反応はどうでしたか。
北澤 最初はこんなに高価な携帯工具が売れるのかという不安をいっぱい抱えて販売を開始したのですが、見た目と使い勝手の良さを評価してもらえたことで販売直後から人気に火がつき、自分でもびっくりしました。
国内のインフルエンサーなどにサンプルを提供し、製品の良い面と悪い面を取り上げて公平に評価してもらったことがあったのですが、SNSで過剰に悪い面だけに注目する人がいたのが悔しかったですね。一方で、海外のサイクリストやメディアに認められることができれば、国内のそのような一方的な評価を覆せるはずだという強いモティベーションにもなりました。
——発売当時、SNS上では「サーディンは北澤さんが作ったものだから買う」という意見も見られました。こういった意見はどのように感じますか。
北澤 ある意味で私のファンのような人が信じて買ってくれるというのを嬉しく感じる一方、私はサーディンについて良い製品ができたと自信を持っているため、製品自体を認めて買ってほしいという気持ちも当時は持ちました。今となっては「北澤肯」という名前がある意味でブランドみたいになっていることを表した意見だったのかなと感じます。
——サーディンの価格面での戦略はありますか。
北澤 8,800円(取材時)という価格は携帯工具の市場では高価ですが、小ロット生産のため利幅は小さいというのが実情で、収益面を考えるともう少し高く販売したいところです。顧客から値段が高いという指摘を受けることはありますし、海外の販売店からもその店のお客さんから同じように言われるとメッセージが来たこともあります。ただ、実際にサーディンを使っている人からは良い評価を得られていることから、サーディンを本当に必要としている人とそうでない人で価格に対して受ける印象が異なるのではないかと考えています。
——北澤さんの考える「サーディンを本当に必要としている人」というのはどのような人でしょうか。
北澤 例えば、頻繁に転倒するマウンテンバイクに乗る人や、それ以外でも自転車にたくさん乗る人は、携帯工具の使用機会が多いため、サーディンの使いやすさが伝わると考えています。言い換えれば、全てのサイクリストがサーディンを必要としているわけではないということですが、全世界のサイクリストにサーディンのことを知ってもらえれば、大きなニーズを発掘できると考えています。
——今後、イクイプトの製品ラインナップを拡充する予定はありますか。
北澤 現在、サーディンに次ぐ製品としてペダルレンチ(ペダルを脱着する工具)である「Cucumber(キューカンバー)」を開発しています。イクイプトのブランドとしての存在感を強めるためにも、2つ以上の製品ラインナップを作ることが喫緊の目標です(※3)。
(※3 取材当時。2024年8月にキューカンバーとドリンクホルダーである「クラッチ」発売開始。現在は、チェーン工具の開発にも着手している)
——今後、代理店業とイクイプトの製造業のいずれかに重きを置きたいという考えはありますか。
北澤 自分のブランドを持つことは夢だったのでもっと育てていきたい気持ちはありますが、まだイクイプトはそれだけで生計を立てられる事業規模ではないので、うまく二足の草鞋を続けていきたいと思っています。
——今後のイクイプトやサーディンのビジネス戦略について教えてください
北澤 海外の代理店への展開や、ウェブメディアへの露出の機会を増やすことで、世界中の潜在的な顧客にイクイプトを知ってもらいたいと考えています。国内で初回ロットの1,000本が2か月で売り切れたことや、実物を見ていない段階で契約してくれる海外の販売店もあることから、サーディンには触ったことがなくても期待して買ってもらえる可能性があると感じています。まずは露出を増やし、世界中のサイクリストに製品を知ってもらうことが販路拡大に繋がると考えています。
——今後のイクイプトの目標について教えてください
北澤 高級価格帯の携帯工具という市場はまだ新しく、先が見えない部分はありますが、世界中で認知されるようなブランドに成長させていきたいです。世界中のサイクリストがいつか欲しいと思うような、憧れのブランドになったら良いですね。
(了)
Interview&Text●moving_point_P(ponkotsu)
Proofreading●Kohei Matsubara
Photo●Koh Kitazawa, KuroMino