独立開業とその失敗から見えた、
輪界の難しさ Bicycle Garage GAS TORCH元店長 仁科 嘉孝

2019年9月に福岡市にオープンし、そのわずか3か月後の12月に閉業した自転車店「Bicycle Garage GAS TORCH(以下ガストーチ)」。いまやその店名は街角から消え、いくつかのブログ記事や代理店のディーラーリストなどに、そのわずかな痕跡を残すのみである。なぜ、ガストーチはたった3か月でその事業を清算することになったのか。今回は、ガストーチの創業者であり元店長の仁科嘉孝氏に、ガストーチのオープンに至るまでのキャリアや、短期間のうちに閉業に至った経緯について話を聞いた。

りんご農家から、自転車店員へ

——自転車との出会いついて教えてください。

仁科 高校生の頃に乗っていたジャガーのルック車(=マウンテンバイクタイプの自転車)が最初に触れた本格的な自転車で、九州一周ツーリングをしたりして楽しんでいました。

20歳の頃、長野県に移住して農業法人の社員として働きながら、趣味として自転車を続け、マウンテンバイクやロードバイクでツーリングをしたり、ツール・ド・美ヶ原などのレースに出走したりもしていました。

——その頃は農家としての独立を考えていたのですか。

仁科 地元である福岡に帰って農業で独立することを考えた時期もありましが、私の知る限りでは、当時の福岡県は今と比較してまだ農業支援に本腰を入れておらず、開業資金が1000万円ほどかかる状況で、現実的ではありませんでした。ですので、農業でやっていくよりは、趣味の自転車で何か仕事をしたいと考えていました。

——自転車を仕事にしたのはいつごろだったのでしょうか。

仁科 25歳のときに上京し、メッセンジャーとして働きました。出版社から印刷所まで原稿を届けたり、証券会社から銀行へ書類を届けたりと、日中は東京の街を走り回っていました。30歳のときに転職して施設管理の仕事に就いたのですが、1年で身体を壊してしまいました。新たな職を探していたところ、メッセンジャー時代の後輩からの紹介があり、渋谷の某大手自転車量販店のスタッフとして働くことになりました。

——30歳を過ぎてから自転車店員として新たに働くのは大変ではありませんでしたか。

仁科 時給900円のアルバイトから始まったので、待遇面では大変でしたね。転職も考えていましたが、3年目で正社員になることができ、しばらくその会社に残ることに決めました。その後はいくつかの店舗へ異動し、35歳の頃には副店長の役職に就けたので、キャリア自体は順調だったと思います。

安定した立場ゆえのもどかしさと、見えてきた理想像

——自転車店としての独立を考え始めたのは、いつごろでしたか。

仁科 最初のうちは、独立のことは考えていませんでした。独立を目指し始めたのは、自転車店員として働き始めてから6、7年目、独立する5年ほど前だったと思います。

——独立を考えるようになったきっかけを教えてください。

仁科 客としてよく訪れていた京都の「空井戸サイクル」(※現在は閉店)の店主さんに憧れたからかもしれません。この店主さんは個性的な接客と高い技術力が売りで、そこで常連客との関係を構築していく様子を見ているうちに、私も「自分の個性を売りにした商売がしたい」と考えるようになり、そこで独立への意識が芽生えたのだと思います。

——量販店の店員という立場では、個性を生かすことは難しいと感じていたのでしょうか。

仁科 お客様との関係を築いていくうえで、量販店では全てのお客様への均質な対応が求められるため、お客様との間に一線を引いたドライな応対が基本となり、個性が出しづらいと感じていました。さらに、マニュアル化された作業範囲外のサービスを提供することも難しく、技術力という個性を発揮する機会が少ないと感じていました。

——その時点で、独立してもやっていけるという自信はありましたか。

仁科 自転車店員としてのキャリアが長くなるにつれて、量販店で求められるよりも高いレベルの技術を身につけられている実感があり、それを提供することでやっていけると考えていました。

量販店では、作業ごとにかけられる時間に制約があることや、責任問題が発生する可能性がある依頼は組織として受けられないといった理由から、一定の水準以上の作業をサービスとして提供しづらいという事情があります。実際に、お客様からの複雑な作業を伴う要望に会社の都合で応えられず、もどかしく感じる場面もありました。

自分の培った技術によって、そのようなお客様の期待に応えられるはずだという、独立に向けた自信をもつようになっていました。

——退職からオープンまでの、おおまかなスケジュールを教えてください。

仁科 在職中に、テナントの立地調査や融資のための書類作成をしていましたが、実際の準備に入ったのは退職願を提出したあとです。

2019年5月ごろに有休消化に入ったタイミングでテナントを決定し、さらに商工会議所や政策金融金庫などを訪問して本格的に融資を受ける手続きに入りました。その後、代理店などの取引先への連絡、店舗づくりなどを経て、9月の初旬にオープンしました。

「俺は違う」と思っていたけど、同じだった

——オープン後の様子を教えてください。

仁科 オープン初期に知り合いが訪ねてくることはありましたが、お客様の来店は少なかったです。お客様がおられない時間を使って、SNSやブログなどでお店のプロモーション活動をしていました。

——その後、年越しを待たず、ガストーチは閉業となりました。閉業に至るまでを教えてください。

仁科 11月の時点で、売上が10万円に満たない時期が3か月続いていて、「これはまずいな」と思うようになりました。一般的に、自転車店の仕入れ値からすると、仮に売上げが10万円でも粗利は3、4万円です。

食うにも困るような売上げしか立たないのに請求は毎月来る、という状況が続きました。開業時点には半年分の運転資金が手元にありましたが、翌年の2、3月には底を突く計算でした。追加で借金するか、閉業するかの岐路に立った時に、経済的な余力のあるうちに閉業という選択肢を選びました。

——開業後に営業が軌道に乗るまでの数か月から数年の間は、大きい利益が見込めないのが一般的なようですが、諦めるには早すぎるとは感じませんでしたか。

仁科 それは自分でも迷いましたし、周囲にも言われました。しかしながら、そこから売上げが増えていくビジョンが見えず、アルバイトしてでも事業を継続したとしても、経営を立て直せるとは思えませんでした。さらに、数か月後には融資の返済が始まるという事実が、耐え難い恐怖と感じました。

あのタイミングで踏ん張れるかが商才の有無の分かれ目なのではないかと、振り返って思います。「独立して商売をやることの難しさ」は、同じような困難に直面した方々から聞いていましたが、「俺は違う」と思っていました。でも蓋を開けてみれば同じでしたね。

実際の経験から見える、輪界ビジネスの難しさ

——立地を事前に調査していたそうですが、開業後に見込み通りにいかなかった点はありましたか。

仁科 近くに団地と女子大学があったことから、そこのお客様の需要を見込んでいましたが、実際にオープンしてみると、せいぜいパンク修理程度の来店しかありませんでした。

——見込みが外れた理由は何だったのでしょうか。

仁科 認知されなかったことが最大の原因ではないでしょうか。大手量販店ですら、新たな地域を開拓する際は、その地域の自転車ユーザーに認知してもらうことに多くのコストを割いています。それを考えると、小規模な個人店を認知させるにはもっとプロモーションに力を入れる必要があったと思います。

せめて店名を「〇〇サイクル」や「〇〇自転車店」にしておけば、まだ認知されやすかったかもしれませんが、自分の特徴を表すために、フレーム作りの道具である「ガストーチ」という名前を付けたことが、わかりにくさにつながったかもしれません。

——他にオープン後に気づいたことはありましたか。

仁科 東京や大阪などでは、買い物などの目的が無くても知らないお店に立ち寄ったり、買った店舗以外のお店に自転車をメンテナンスのために持っていったりすることが多いですが、福岡ではそういったことが比較的少ないように思いました。最近ではさまざまな自転車店に少しずつお世話になるスタイルが一般的になりつつありますが、福岡では購入からそれ以降のメンテナンスまで一つの自転車店にずっと世話になるという、従来の付き合い方がまだ根強いと感じました。

——持ち味であった、技術面での優位性を生かす機会が得づらかったのですね。

仁科 MTBのサスペンションの整備やビンテージパーツの取り扱いなど、卓越した技術や知識を売りにしている自転車店は福岡にもありますが、そういったお店は本州からも依頼が来るほど高レベルです。量販店よりも高いレベルの修理ができるというだけでは、やっていくのは困難でしたね。

——もし、再び福岡で開業するとしたら、どういったビジネスモデルならチャンスがあると思いますか。

仁科 どんなビジネスモデルなら受けたか、というビジョンはあまり無いですね。ネット通販などで買う傾向も強いため、在庫を持たないような小さなお店には用がないと思います。強いて挙げるのであれば、車体をできるだけ安く販売して、そのメンテナンスやカスタムなどの技術面での利幅を確保するようなビジネスモデルでしょうか。

ビジネスとして関わる輪界、趣味として関わる輪界

——輪界への未練はありますか。

仁科 未練はありますが、輪界は給与水準が低いですし、融資の返済もあるので、戻ることは難しいですね。また、独立時に、従業員やお客様との量販店特有のしがらみから解放されたという気持ちもあったので、再び量販店の仕事に戻れるのかという不安もあります。

——これから輪界で独立を考えている方に、アドバイスをお願いします。

仁科 やりたいことやできることが沢山あるから独立を目指すのだと思いますが、初期費用はなるべく抑えて資金を温存し、経営が軌道に乗ってから在庫や大型の工具などを揃えていくほうが良いのではと思います。

資金面では、量販店に対抗して一千万円以上の資金を投入し、大きい規模で事業を展開するか、店舗運営以外に複数の収入を確保しながら小規模にやるかのどちらかになると思います。資金調達の際には、審査自体は通りやすくても返済期限が短い融資が多いので、自己資本比率を高めて月々の返済額を抑えるほうが良いと思います。

また、問屋やメーカーとのコネクションは、現在ショップで働いている方であれば自然にできていくと思います。

何より重要なのは、SNSや勤務先のブログなどで積極的に情報を発信することで、できるだけ多くの人に認知してもらい、開業初期に支えてくれる客層を獲得しておくことだと思います。

——今後の自転車との関わり方について教えてください

仁科 今のところは、あくまで軸足を他業種に置いて、自転車とは趣味の延長で関わっていきたいと考えています。YouTubeや本などの媒体を通して、技術そのものよりも、エンタメとして楽しんでもらえるような情報を提供していきたいですね。

(了)

Interview&Text●moving_point_P(ponkotsu)

Proofreading●Kohei Matsubara

Photo●moving_point_P(ponkotsu), Yoshitaka Nishina

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