学生からトップレーサーへ、自転車で変わった人生
—元・TEAM OLTRE 武井一弘選手 前編

イタリアの自転車ブランド「ビアンキ(=BIANCHI)」が、国内でバイクサポートを行っていたチーム、「チーム・オルトレ(=TEAM OLTRE)」をご存知だろうか。今回インタビューした武井一弘氏は、2017、2018年にはチーム・オルトレに選手として所属し、2019年からはWHPSC(後述)の世界選手権に、日本代表チームの一員として出場している。一方で、彼は東京理科大学大学院の修士課程で機械工学を専攻する学生でもあり、さらには、自転車販売店のスタッフでもあるという、ユニークな存在だ。今回は、単なる自転車好きのいち大学生だった武井氏が、どのようにしてトップレースの世界へ飛び込んでいったのか、現在までに至るその道のりについて話を聞いた。

※本インタビューの内容は、武井一弘氏の個人の意見および見解であり、本記事に登場する団体・企業との見解とは一切関係がなく、いかなる意見も代弁するものではありません。

強くなれたのは「運が良かった」と思う

——まずは、オルトレの選手としてレースの世界へ飛び込むまでを伺います。自転車に乗り始めたのはいつ頃でしたか。

武井 幼少期から、父とよくサイクリングをしていたので、その頃から自転車には乗っていました。小学生の頃には100km弱くらいのロングライドもしたりしていました。高校生になって、ビアンキというブランドが気になり、KUMAというマウンテンバイクを買い愛用していましたが、その頃はレースなどには参加しておらず、趣味として乗っていただけです。ですが、だんだんと「自転車で強くなりたい」と思うようになり、大学入学をきっかけに自転車サークルに入部しました。

——ということは、その自転車サークルはレースなどに積極的だったのでしょうか。

武井 実は、私のいた東京理科大学には、本格的な自転車競技部はありませんでした。自転車関連では、主にツーリング系の活動をしている「東京理科大学サイクリング同好会」しかなく、当初は「無いなら自分で作ってやろう」というくらいの気持ちでした。しかし、そのサークルの部長と話す機会があり、そこで「本気で強くなりたいのですが、強くなる練習はできますか?」と尋ねたところ、「できる」と言われ、サークルへの参加を決めました。実際に、夏の合宿で非常にハードな北海道ツーリングを経験した際には、メンタル面でとても成長できました。その後は、MTBで何度か日本一周したりもしていましたね。

——そういったツーリングメインの活動から、レース活動へと移行していったきっかけは何だったのでしょうか。

武井 当時、サークルのOBの中にとても速い方がいて、憧れてもいました。そのOBの方と一緒に「榛名山ヒルクライム in 高崎」に参加したのですが、その方よりもさらに速い参加者が何百人といて、衝撃を受けたんです。それがきっかけの一つでしたね。

 その頃、同時にチーム・オルトレの存在を知って、大好きなビアンキのチームで走れたら楽しいだろうな、と考えるようにもなりました。それからは、もっと強くなりたいという思いが一層強くなり、より積極的にレースに参戦するようになりました。

——最初のうちは実力が突出していたわけではなかったのですね。その翌年、チーム・オルトレの一員として活躍するまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

武井 レースに出る機会を増やしてからは、自己流のトレーニングを積むようになったのですが、自分の実力に伸び悩みを感じるようになりました。それを打開するために、レース参加後、良い成績を残した出場者に「どうしたら速くなれますか?」と片っ端から聞いて回っていました。

 ほとんどの人からは適当にあしらわれましたし、たまにもらえても一言二言くらいでした。ですが、2016年夏の「大井町クリテリウム」で、私にとって「自転車の師匠」といえる方に出会うことができたんです。その方はとても真剣に私の話を聞いてくれて、最終的には「じゃあ今度一緒に走ろうか」と言ってくれました。それをきっかけに、一緒に練習をするようになったんです。

——その方とは脚力に大きな差があったと思いますが、練習には付いていけましたか。

武井 その方は、メンバー間に実力差のあるグループでの練習でも、一人ひとりに役割を持たせることで、全員が実力を出し切れるようなメニューを組んでくれる方だったので、私も効果的に練習することができました。

——その当時、武井さんは理系大学の学部生でした。十分な練習時間を確保するのは難しかったのではないでしょうか。

武井 大学2年生の当時は、カリキュラムとして自由な時間が多く、そのほとんどを練習に注ぎ込みました。チーム・オルトレの採用テストまでの半年ほどの間、片道65 kmを自転車で走って通学し、大学に到着したら構内のジムへ直行するという生活を送りました。実力もそれに伴って上がり、採用テスト前の最後のレースでは、オルトレの一員であった選手よりも良い成績を残すことができました。

 いま振り返ると、「自転車の師匠」に出会えたことや、練習につぎ込む時間が確保できたことなど、運が良さもあって自分がここまで強くなれたのかなと思いますね。

——チーム・オルトレの採用テストはどういったものだったのでしょうか。

武井 まずは書類審査で、エントリーシートにはひたすらビアンキへの愛を詰め込みました。書類審査で8割が落とされると聞いていたので、合格通知が届くまでは気が気でなかったです。その後の面接では、「ビアンキとのこれまでの関わり方」や「チーム活動が終わってからの振る舞い方」といった具合に、ブランドの看板を背負う一員としての素質を問われる質問を多くされました。私はもともとビアンキの大ファンだったので、その思いを素直に回答に乗せることで、面接官の方に共感してもらうことができ、採用につながったのではないかと思います。

——実走試験ではプロの選手とも競い合ったと聞きました。

武井 会場には有名強豪チームの選手の方々もたくさんいたので、内心は緊張と焦りでいっぱいでしたね。タイムだけでなく、ペダリングやフォームの綺麗さも採点されるため、コース上には試験官が何人も立っていました。見られていると思うと、余計に意識して緊張してしまいました。

 その年の採用枠は4人だったのですが、成績発表では1位から3位までの間に名前を呼ばれず、目の前が真っ白になりかけました。4位に私の名前を呼んでもらえて、安堵で全身の力が抜けていくようでした。

——チームに参加し、レースなどの活動を通して、自らの成長を感じることはありますか。

武井 私自身、まだ社会に出ていない世間知らずな学生だったので、まずは社会人としての振る舞いを厳しく教えられました。メーカーや組織など、外部の方々との接触の機会も多くありましたし、時には失言をしてコーチに叱責を受けたりもしました。そうして社会性を身につけられたことが、私にとっては大きな成長だと感じています。

「この人がメカニックにいてくれて良かったと心から思った」

——その後、チーム・オルトレは活動を終了し、武井選手はWHPSC(=World Human Powered Speed Challenge:陸上における人力のみを動力とした車両の最高速度を競う競技)の日本代表チームのメンバーとして2019年から活動していますが、参加に至った経緯を教えてください。

武井 私の通う東京理科大学の某研究室が、WHPSCのマシン設計に携わることになったんです。過去に、その研究室の教授の講義で、ビアンキが持っているマテリアル技術の応用の可能性について、私が発表したことがありました。それを教授が覚えてくれていて、大学から日本代表チームにパイロットとして推薦してもらえることになりました。

——WHPSCのレースの内容について教えてください。

武井 WHPSCでは、ほぼ水平な直線コースで、8kmの助走のあとの200mのタイムを競います。200mの計測区間で最高速度を実現するために、ほぼ全力のペースで8km漕ぎ続けます。また、最高速度を向上させるためには、マシンへの空気抵抗の軽減が重要ですので、東京理科大学の研究室で空力設計されたマシンを投入しました。

 実際にマシンに乗ってみると、空力においては前方投影面積(=正面から見たときの断面積の大きさ)の小ささが何よりも大事だと身をもって感じました。たとえば、500Wで漕いでいる身長2mのプロレーサーよりも、200W程度の出力しかない小柄な女性の方が、最高速度が速くなるんです。努力ではどうにもできない壁を感じたようで、愕然としました。

——これまでの結果はいかがでしたか?

武井 2019年の夏に開催された大会では、18位という結果でした。当時はマシンが未完成でしたし、レース中の水分補給などについて準備不足だった部分もありました。結局、ゴール直前で気を失って病院に搬送されてしまい、悔いが残るレースでした。

 2020年はコロナ禍の影響から、残念ながらレースは中止となってしまいましたが、2021年こそは悔しさを晴らせるような結果を残したいと思っています。

——ゴール直前で気を失ったということは、ゴールの瞬間や、自転車を降りた記憶はないのですか。

武井 記憶はありません。ゴール後に自転車ごと地面に放り出されたようです。病院で目を覚ました時に、監督、スポンサーやマッサージャーは「まだ走れるか?」とレーサーとしての私のキャリアを心配してくれました。

 一方で、メカニックは「無事に帰ってくると言ったじゃないか」と私の身体への心配から怒ってくれて、この人がメカニックにいてくれて良かったと心から思いました。

(後半へ続く)

Interview&Text●moving_point_P(ponkotsu)

Proofreading●Kohei Matsubara

Photo●moving_point_P(ponkotsu), Kazuhiro Takei

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